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北辰一刀流 玄武館/hokushin ittoryu genbukan

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お祝いの言葉

この度は、前館長小西重治郎先生の一周忌にあたって、伝統ある北辰一刀流玄武館が宗家六世小西真円一之新館長に、

ご盛会のうちに引き継がれましたことを、玄武館が本部を置いていただいている杉並区長として・日本国民として・

また個人としても心から嬉しく思っております。 まず個人的なことから申しあげれば、先代重治郎先生は、

政治の道を志す私に対し、逆境にあるときも順境にあるときも、終始一貫変わらず未熟な私を励まし支えて

いただきました。時には行動で、時には手紙で、またときには先生の富士の絵を通して。一点の私心を感じさせず、

他者に自己の最善を尽くされる先生のお姿は、まさに「活人剣」の極意を垣間見させていただいたように思いました。

その先代のご遺志を継がれる立派な新館長が誕生されたことは、嬉しい限りです。

日本剣道の礎となった北辰一刀流は、剣道が単なるスポーツではなく、命のやり取りを意識して自己の精神を錬磨し、

「天の道」即ち「徳」を体得する修養であることを伝えてきた、まさに精神修養の一源流であると思います。

物事は進化発展すると、とかくその本質を見失い枝葉末節の技術論に走りやすいもので、だからこそ私たち日本人は、

代々大切にしてきた「道」の源流に時に立ち返る必要があり、北辰一刀流玄武館がその源流を担ってこられてきたことに、

日本人として本当にありがたく思うのです。

玄武館は杉並の誇る善福寺池の傍らにあり、善福寺池は今でも湧き出る「遅野井(おそのい)」の湧水により生まれ、

それが一級河川である善福寺川となり神田川に合流し、神田川は隅田川となり大海にそそぎます。そしてこの「遅野井」は、

源頼朝が義経征伐に向かう途中に水に困った際、その弓で掘って湧き出たと伝えられています。

私は玄武館がこの「遅野井」のように、これからさらに日本の源流として大きく発展されるよう、心から期待をし、また応援していきたいと思います。

宗家六世小西真円一之新館長のもと、北辰一刀流玄武館のますますのご繁栄を心からご祈念申し上げます。

杉並区長  山田 宏

祝辞

北辰一刀流本部玄武館前館長五世 小西重治郎成之先生の一周忌を期に、宗家六世 小西真円一之先生が新館長を襲名されましたこと、誠におめでとうございます。

前館長成之先生が、井草八幡宮にほど近い善福寺公園の辺りに移り住まわれたのは、人心が荒廃していた戦後間もない時でした。そのような時期に成之先生は、美術学校にお勤めになりながら、地域の青少年のために剣道と絵画の青空道場を始められたのです。そして、少年剣道大会児童図画展覧会を、当八幡宮の神楽殿で開催していただきましたのが、当八幡宮の戦後の奉納剣道の始まりです。
以来、毎年例大祭において、神楽殿や前庭に竹を立て注連縄を廻らした中で、奉納剣道大会が開催されました。現在は新神楽殿において、真剣等による剣術の神髄を披露していただいています。

剣道の技と武道精神を伝えるこの行事は八幡宮の例大祭に相応しい行事として深く根付きました。これも前館長成之先生のご熱意の賜物と、深く感謝する次第であります。

この度、偉大な功績を残された前館長の遺志を継がれ、技前を継承されている宗家六世 小西真円一之先生が玄武館館長を襲名されましたことは、誠におめでたいこととお慶び申し上げます。

今後は新進気鋭の館長のもと、剣の道に分け入る人達に北辰一刀流の技と心を伝え、立派な剣道家を輩出していただきたいと思います。また当八幡宮例大祭での剣術の奉納行事を末永く続けていただきますようお願い致します。

井草八幡宮 宮司  宮崎 昌文

祝辞

北辰一刀流玄武館主 六代目当主の御継承、御披露をお祝い申し上げます。
いよいよ励まれ、先代重治郎先生を越えるお師範に成長されることを祈念申し上げます。
先代重治郎先生は、誠に出来た御方で、常に私達も尊敬申し上げておりました。人間性のすばらしさ、武技の奥の深さと正確さ、千日万日の稽古で積み上げられた体捌き足捌きの妙、湧き出す気勢の充実は本当にすばらしいものでした。ご一門の方々も、良い師の下お幸せだったと思います。

太刀打ちは理法、心法、刀法が一致して初めて成り立つものと思います。古流であれ、新しい現代剣道であれ同じだと思います。先代重治郎先生は、これが出来ていたと思います。同年代の先生だったので、なお思いが響くのかと思います。

思い起こすと、十五年前の第一回千葉周作顕彰の東日本選抜少年剣道大会を岩手県陸前高田市挙げての行事が取り上げられての、先生との出会いでございました。千葉周作先生が岩手県気仙地区のお生まれだとの学説で、陸前高田市挙げての取り組みになったようで、毎年欠かさず玄武館の北辰一刀流の形と、岩手県剣連の日本剣道形のご披露は欠かせぬ行事になってしまいました。

私も重治郎先生に肖れるよう八十半を越え、今なお頑張って毎月の全剣連合同稽古会に出席しております。重治郎先生には、今一つの奥技がおありでした。富士山の油絵一額をいただいております。何百枚もの富嶽を画かれたと伺いました。
真円一之先生は、ご性格も立派な事を存じ上げております。一段のご飛翔を念じ上げ、ご挨拶とさせていただきます。

岩手県剣道連盟会長  元日本剣道連盟審議員
範士  原田 源次

『剣豪千葉周作』顕彰少年剣道練成大会

薫風の候、北辰一刀流本部玄武館宗家六世小西真円一之先生の北辰一刀流本部玄武館館長襲名、誠におめでとうございます。「幕末の剣豪千葉周作」生誕地・陸前高田市気仙町町民一同、心よりお祝い申し上げます。
幕末の三剣豪のうち、千葉周作は仙台領・気仙郡今泉村(気仙村)で生まれ今泉川(気仙川)の清流で産湯を使ったということは、古くから当地に言い伝えられておりました。元気仙町町長故吉田耕一氏を中心に有志の方々が、千葉周作生誕地の考証に研鑚を積まれ、昭和51年、気仙町中井地区に「幕末の剣豪・千葉周作生誕之地」の標石を建立しました。
それから15年後の平成3年。佐藤順雄先生の長年にわたる研究により、これまでの生誕地説建鼎立[花山村、荒谷村、気仙村(今泉村)]の様相から「気仙郡気仙村(今泉村)」と解明していただき、市民に大きな衝撃を与えました。
これを契機に市内では、顕彰の機運が盛り上がり、元陸前高田市長菅野俊吾氏、元気仙地区公民館長故米谷淳氏を中心に、平成4年に官民による「剣豪千葉周作」顕彰推進委員会が結成され、顕彰事業に乗り出した次第であります。

その中の事業の一つとして、青少年健全育成に寄与する「剣豪千葉周作顕彰少年剣道練成大会」の開催があります。元市長菅野俊吾氏は、千葉周作先生の墓前で「生誕地確定」の報告と「あなたの生誕地で顕彰少年剣道練成大会を開催するので見守って下さい」と、礼拝されております。さらに、故米谷淳氏は「私は現在気仙地区公民館長の立場」にあり、その使命と責任の重大さを痛感しております。そして平成6年には、千葉周作生誕200周年を迎え、この事業の成功に大きな夢を抱いておりました。特にも、北辰一刀流宗家五世故小西重治郎成之先生並びに岩手県剣道連盟のご指導のもと、200周年事業に取り組んできました。

記念事業の一つは、たいまつ行列であります。生誕之地の碑がある気仙町中井から約3km先の道の駅・高田松原タピック45まで、地元の勇壮なけんか七夕太鼓を先導に、気仙町民、大会参加者合せて約500名が強風の夕暮れ、消防ポンプ車警戒護衛のもと、たいまつを手に行進し幕末の剣豪として命の炎を燃やした周作を偲びました。
もうひとつは、少年剣道練成大会の充実を図ったことです。大会規模を関東以北の少年剣士を集い、剣豪の生誕地に恥じぬ大会開催を計画し、日本12都県の各優勝チームなど32団体の出場。関東、東北の実力一を決める少年剣士の登竜門ともなる大会にしました。

この事業を通して、北辰一刀流宗家五世重治郎成之先生は、度々陸前高田市を訪れになられました。そして「当流祖師生誕200年祭は先生(米谷淳氏)の英知に依って大成功を収めたと言っても過言ではないと思っています。」(米谷淳氏への手紙)というお褒めのお言葉をいただきました。また、「私が陸前高田を訪れるということは、単なる身すぎ世すぎではなく、当流初代の祖師が私にのりうつって、その使命に動かされているものと信じています。」(前掲)と述べておられ、先生の著書『剣聖・千葉周作』発刊のはこびとなっているものと思っております。

少年剣道練成大会は、真円一之先生並びに県剣道連盟のご指導、ご協力により今年18回を迎えます。この大会の特徴のひとつは、公開演武と審判員全員が6段以上の段位の剣士であることです。本当にありがとうございます。今後ともよろしくご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

結びに、剣豪千葉周作顕彰推進委員会の事業に対する、北辰一刀流本部玄武館のご指導、ご協力に深甚なる感謝の意を表すると共に、ますますのご隆盛をご祈念申し上げ、お祝いのことばといたします。

剣豪千葉周作顕彰推進委員会 会長  吉田 正耕

祝辞

この度は、小西真円一之さまの北辰一刀流本部玄武館長襲名真におめでとうございます。
又、この様に盛大な襲名披露の場にご列席させていただき真に感謝いたします。
我が家では、祖父、父の代から北辰一刀流を学び、私の亡き父は、全国を武者修行した折に前館長には善福寺公園にて立会いをして頂いた事があると聞いております。

そんな父から 「おまえが剣術をやりたいなら玄武館以外には認めない。」と言われて育ち、関東へ越して来たのを機に思い切って玄武館の門をたたきました。
私は現在柴山師範の下、非常に出来の悪い門下生ながら稽古を続けております。
当時、副館長であられた小西真円一之先生はそんな私に対しても暖かい言葉をかけて下さり、また公私共に相談に乗って頂くなど感謝の念にたえません。

前館長が戦後の動乱の中、生涯を費やし再興なされた北辰一刀流は、新館長のもと益々発展していく事でしょう。
私も大変微力ではありますが、少しでもお役に立てる事があれば全力を尽くしたいと決意を新たにしております。

最後になりますが、館長のご健勝と北辰一刀流の発展、そしてご列席の皆様、門下生の皆様及び関係者の方々のご多幸をお祈りしつつ、祝辞とさせていただきたいと思います。

(有)RETORO 代表取締役社長  千葉 幸男

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